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桂ざこば (2代目) : ミニ英和和英辞書
桂ざこば (2代目)[にだいめ かつら ざこば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けい, かつら]
 (n) (abbr) knight (shogi)
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)

桂ざこば (2代目) : ウィキペディア日本語版
桂ざこば (2代目)[にだいめ かつら ざこば]

2代目 桂 ざこば(にだいめ かつら ざこば、1947年9月21日〔 - )は、上方落語家タレント。本名、関口 弘(せきぐち ひろむ)〔。
大阪府大阪市西成区出身。米朝事務所所属。上方落語協会会員(代表理事)。前名は桂 朝丸(かつら ちょうまる)。出囃子は「御船」(ぎょせん)。愛称は「ざこびっち」。桂雀々とは夫人同士が姉妹であるため義兄弟の間柄。甥(ざこばの妻の弟の子)にJAY'ED
== 来歴 ==
小学校2年生の時、両親が離婚し警察官だった父親に引き取られたが、3ヶ月ほど経って父親は電車に飛び込み自殺した。1963年(昭和38年)、日本橋中学校在学中から学校をさぼり千日劇場などの劇場通いに没頭。その時にたまたま見た3代目桂米朝の芸に一目惚れし、在学中から何度も弟子入り志願したが「この時代高校だけは卒業したほうがええ」と言われ断られ続けた。卒業後の5月に桂米朝に入門が許される。本人の述懐では、米朝の謝絶に遭った後に中学の教師に進学の相談をすると「お前が入れる高校はないぞ」と言われ、米朝にその旨報告し、「なら、しゃーないな」(それなら仕方ない)と入門を許されたという〔雑誌『醸界春秋』1999年1月15日号に掲載〕。また就職も勧められ1か月ほど働いていた経験もある。
師匠の米朝は同時に育ての親にもなり、家族同然の内弟子生活を過ごした。この頃、4代目桂文紅の自宅に居候していた時期、また米朝が永六輔に依頼して東京で活動していた時期もある。朝丸時代(千土地興行大宝芸能所属)千日劇場トップホットシアターに出演。千日劇場では師匠米朝が司会する「お笑いとんち袋」(関西テレビ大喜利番組)のレギュラーとなり、トップホットシアターでは自作の「動物いじめ」で売り同劇場の看板芸人となった。「動物いじめ」ネタはレコード化もされたが、ネタの内容に動物愛護団体からクレームが付いた。
スポット的ではあるが、テレビ番組の収録で吉本興業の花月劇場チェーンや、松竹角座の舞台にも立った。
全国的には「ウィークエンダー」での「テレビ三面記事」のレポーターとしての出演がある。
後は東京で活動するようになったが低迷し、大阪に拠点を戻す。2006年平成18年)以降、大阪のテレビ、ラジオを含めて9本のレギュラー番組を持つ。60歳を過ぎ落語会を開催したいとしている〔産経新聞2006年7月27日の記事「桂ざこば、60歳でマスコミ引退し落語家に専念」より〕。ただ、最近は軟化し、レギュラー番組の出演は10月の改編期を過ぎても降板せずに引き続き続投したり、「65歳までは頑張る」と軌道修正ともとれる発言もしている。
噺のスタイルは「朴訥」。
大阪市内に寄席「動楽亭」を開いている。
米朝一門の中では桂枝雀死後、実質的に弟子筆頭として、桂南光とともに米朝の存命中は補佐する形で一門の運営を主導しており、米朝没後もその地位は変わっていない(ざこばの兄弟子月亭可朝は他の一門のメンバーと別の事務所に所属していることもあり、米朝一門の運営に直接関わっていない)。ざこばと南光は米朝一門の大半が所属する米朝事務所の常務取締役でもある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「桂ざこば (2代目)」の詳細全文を読む




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